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メジロブライトと自分

Photo Data:(C)Carrot Lunchさんの提供】
97年京都新聞杯

ブライトをはじめて見たのはTVで96年のデイリー杯3歳Sの時でした。

あの時のブライトは先頭から30馬身近く離れた しんがり(ちょっと大げさ;)からゴール前、凄い脚で追い込んできて2着になりました。
そうして、のちに「優駿」という本を見ている時に父がメジロライアンということを知り ました。

んで、その後のラジオたんぱ杯で見事勝利し来年のクラシック候補となったという訳です。

当時の競馬界は外国産馬・輸入種牡馬全盛の時代 で日本の生産牧場は厳しい状況になっていました。(今でも厳しいですけど・・。)
その頃の俺は、将来、牧場で働きたいと真剣に考えていたので、
マル外馬の活躍=日本の生産牧場の危機みたいに 考えるようになっていました。
なので、新種牡馬メジロライアンの子供、メジロブライトはまさに 俺にとって「将来への希望」のような感じでした。
その年の暮れは、メジロドーベルが 阪神3歳牝馬Sで1番人気のマル外、シーキングザパール を負かしたことも嬉しい記憶として覚えています。

96年デイリー杯3歳S
Photo Data:(C)Carrot Lunchさんの提供】

年が明けて97年の共同通信杯4歳Sでブライトは東上しました。
ここでも、直線はヒヤヒヤさせながらも差し切り勝ちを収めます。

しかし、次走のスプリングSは道悪が影響したのか、外から追い込むも 2着に敗れてしまいました。

そして皐月賞。
ブライトは1番人気に推されました。
この年は例年と違い、父内国産馬が活躍しており、弥生賞を勝ったランニングゲイル やエアガッツなども人気を集めていました。
しかし結果はサニーブライアンの逃げ切り勝ちでした。
レース映像を見ればわかりますが、この時の中山の馬場は土煙が 出るほど荒れていました。
その中で、大外から追い込んで差のない 4着になったブライトの走りは、直線の長いダービーで 期待を抱かせる内容でした。

絶好の馬場状態で迎えたダービー。
1番人気はメジロブライト。
前回よりも更に支持を集めて2,4倍となっていました。
この時は、TVの前で馬券を買ってもいないのにドキドキしながら見ていた 記憶があります。
しかし、結果はまたもサニーブライアンの逃げ切りでした。
このレースではシルクジャスティスに差し比べで負けており、 少しブライトの能力を疑い始めていました。

夏場を休養して、京都新聞杯3着の後、 いよいよクラシック最後のレース、 菊花賞に出走しました。
この時の1番人気は古場相手に京都大賞典を 勝ったシルクジャスティスに変わっていました。
距離が伸びてよくなる馬だと思っていたので、この菊花賞こそ ブライトにとって最大のチャンスだと 思っていたのですが、結果はマチカネフクキタル の末脚が勝りました。
最後の直線で見せ場たっぷりに追い込んできたのですが、残り150M あたりで他の馬と同じ脚色になっていました。

正直、このレースを見た後はすごくガッカリしたことを覚えています。

98年天皇賞(春)
Photo Data:(C)Carrot Lunchさんの提供】

次走のステイヤーズSでは鞍上が河内洋騎手に代わっていました。
このレースは新潟に住んでいる為か時々競馬中継が放送しておらず、 前に購入していた、たんぱラジオ(?)をつけて コタツに入りながら聴いていた覚えがあります。
レースは圧勝でした。
実況の人が「力が違います、メジロブライト」と言っていたのをよく覚えています。

そして、翌年のAJC杯も凄い脚で勝ち、 阪神大賞典ではライバルのシルクジャスティス との接戦を制し、天皇賞の有力馬に名乗りを上げます。

いよいよ迎えた大一番、春の天皇賞では前走 休み明けながら59キロを背負い、 差のない2着に粘ったシルクジャスティスが 1番人気に推されました。
この時のオッズは3番人気のダイワオーシュウが 13,5倍と離れており、まさに2強対決となっていました。

結果はメジロブライトの圧勝でした。

4コーナーで一気に差を詰め突き放すという、まさに横綱相撲でした。

これで重賞4連勝になり、 河内騎手に乗り替わったメジロブライトはまさに水を得た魚のように その能力を如何なく発揮していました。

98年京都大賞典
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しかし一転、次走の2番人気で迎えた宝塚記念では スタート直前にブライトがゲートの中で暴れ、 外枠発走となってしまいます。
さらに4コーナー手前で前が詰まるという2度のアクシデントが あり、11着に敗れてしまいました。
サイレンススズカ、エアグルーヴ、シルクジャスティス 、メジロドーベル、ステイゴールドなどの豪華メンバーで 行われた宝塚記念でしたが、なんとも 後味の悪い結果となってしまいました。

休養をはさんで京都大賞典ではセイウンスカイを追い詰めるものの2着。
秋の天皇賞では距離不足なのか5着に敗れました。
このレースでは生まれて初めて万馬券を取った思い出があります。
とは言っても、友人同士で30円・30円そして俺が40円出して買った お遊び馬券でした。

レース後は周りの人がシンとする中、みんなで大喜びしていた記憶があります。
今思えばサイレンススズカの故障もあり、かなり不謹慎でした。

当時は高校生だったので3人でわけて 4000円くらいのお金でも大喜びしていました。

そして有馬記念では高校の友人4人で原付バイクで 新潟競馬場へ行き、 ブライトの単勝を5000円買い、 大勝負をしましたが、 グラスワンダーを追い詰めるものの 2着に敗れ、この年の後半は未勝利で終わりました。


99年阪神大賞典
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年が明けて99年、 日経新春杯に出走したブライトは 格の違いで久しぶりに勝利します。

次走の阪神大賞典では、昨年のダービー馬 スペシャルウィークとの一騎打ちとなります。
当時、スペシャルウィークの強さをみくびっていた 俺はメジロブライトの単勝に1万円賭けました。
確かブライトの単勝は1,7倍しか付かなかったと思います。
この2頭で馬連が1,5倍だったので、 こちらのほうがよっぽど当たる確率が高かった な・・と今になってみると少し悔しく思います。
それ以前に、今ならこれほど堅いレースの馬券は買わないのかもしれません。

で、結果はスペシャルウィークが道悪・距離を克服してブライトにあっさり競り勝ちました。

レース後は一緒に行った友人とは無言のままバイクで帰って行った思い出があります。

そして、春の天皇賞では去年のように主役とはいかず、一つ年下のスペシャルウィークと セイウンスカイの次の評価となっていました。

結果はブライトが懸命に追うものの、スペシャルウィークをかわすことはできませんでした。
悔しいですが、スペシャルの強さは本物で完全に力負けだと思いました。
それと同時に、以前あったブライトの切れが鈍くなっているように感じました。

5ヶ月の休養後、京都大賞典でインコースから強襲し、 いい競馬を見せたブライトでしたが、 続く天皇賞秋では見せ場なく11着、暮れの有馬記念では 去年のような迫力のある追い込みはできず、掲示板を 確保するのがやっとでした。


その後、悲運が襲いました。
競走馬にとっては致命的な左前脚屈腱炎を発症してしまったのです。
9ヶ月の休養後、京都大賞典でようやく復帰したブライトでしたが、 河内騎手が落馬の為、 乗ることができず代わりに 鞍上には石橋騎手が跨っていました。

レースではまったく「らしさ」がなく後方のまま8着に敗れてしまいました。


さらにレース後、再び屈健炎を再発し、ついに競争生活に幕をおろしました。


98年京都大賞典
Photo Data:(C)Carrot Lunchさんの提供】

最後に、今になって何故あんなにもブライトが好きだったのか考えてみました。

それは、いつも善戦止まり(中途半端orあと一歩)で終わってしまう所が、 その時の自分の心境と重なって、 ブライトが走っているのを見る度に自己投影して応援していたのかもしれません。

それと多分、G1馬になる前も、 G1馬になっても、常に挑戦者の立場で走っていたブライトの直向さが 俺にも伝わっていたんだと思います。

これからは種牡馬としていい馬を輩出してくれることを期待しています。

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